フランセよもやま話 7
【変わらないのは桜島だけ?】
昭和30年代初頭。白いシャツに前掛け姿の女性2人。場所は今「パンの店フランセ」がある場所と同じ。中洲通り沿い、桜島を背にした写真。令和元年9月現在、同じような場所から撮影すると桜島は見えない。
右側は私の祖母、左は大叔母である。
当時は「東郷製菓」という焼き菓子屋があり、東郷家3兄弟で営んでいた。兄弟のうち菓子職人だったのは、私の祖父だけ。戦後いろんな事が動いていく中、手に職を持った祖父だけが、結果的に店を続けていた。
私の祖父は戦時中は飛行機を作っていたそうで、我が家では当時のジュラルミンの破片がキッチンで油避けになってたりする。他にも祖父は鹿児島県内各地で塩釜を教えて歩いたという経歴がある。
そんな明治生まれの祖父は私が中学の時に82歳で肺ガンで亡くなった。ヘビースモーカーで、子供の頃の私は、近所の宮内商店によくおつかいしていた。今じゃ子供はタバコ買えないが、小学生の私はダースで「ゴールデンバット」や「峰」を買っていた。ちなみに、私の両親も私もタバコはすいません。
写真の時から、現在まで、60年以上経っている。写真の祖母も大叔母もこの世には居ないし、中洲通は舗装され、見える建物も存在しない。流れていた川さえない。今は同じ場所から見えない桜島だけが、少しカタチが変わった部分はあるかもしれないが、ほぼ同じようなフォルムで存在する。
朽ちるものは朽ちる。私たちだって、いつか死ぬ。生きるってなんだろうね?とりあえず、私は、昨日の後悔を明日したくないなあ!笑
#2019年でまるっと47年 #家業は90年以上
#フランセ #パンの店フランセ #パンスタグラム #焼きたてパンフランセ #焼きたてのパンフランセ #パンのフランセ #パン好き #鹿児島のパン屋 #鹿児島 #シェアカゴ #パン好きさんいらっしゃい #パン屋のキッシュ #キッシュ #焼きたてパン #鹿児島のパン #勝手に鹿児島大使
#ベテラン鹿児島 #上荒田 #コラム #物語 #塩釜 #塩竈 #塩竃 #塩田 #塩作り #麺屋剛 #鹿児島ラーメン
0コメント